昭和43年 7月1日 朝の御理解
月初めの朝の御祈念に当たりまして、神様にこの七月という月の私共の焦点、私共の信心の焦点をどこに置いたらよからろうかと思わしていただきましたら、神様、早速あの教えて下さることが、あの、紋ですね、家紋、紋にあの、抱き茗荷というのがあリますでしょう、茗荷がこう抱き合ったような形に図案化された紋ですね。
中村さん達は知っちゃるでしょう。中村さん、中村さん、中村さん、あんた達は知っちゃるでしょう。抱き茗荷、抱き茗荷という紋を知っちゃるでしょう。
今月の信心の焦点がね、中村さんそこなんです。ん、一番初めから聞きよらな分からん、だから、途中ちょちょと聞いたちゃ、一番、もう開口一番、ここんところが一番大事じ聞かにゃ、そこんところをキョロキョロしたっちゃ分からん、ね。
今月の七月のね、信心のどこを目指して信心するかと、いうことを思わせていただいたらね、抱き茗荷、茗荷というのはよろこびの妙、これは字をもじって書けば、私はいつもそう思うんです。ね、たえという字、妙、がは賀正の賀、よろこぶ、よろこびのみょう、しかもそれが抱き合っておる、ね、よろこびの妙。
これは今月の信心の焦点はここに置いたら良いが、さ、んならこのことは、あの、ご理解にはどう下さるだろうかと思うて、今これを開かせていただきましたら、ね、ご理解二十四節を頂くのです。
ご理解二十四節、読んでみます。人に誘われてしょうことなしの信心では、付け焼刃の信心じゃ 付け焼刃の信心では とれやすいぞ どうぞその身から打ち込んでの真の信心をせよ 世に勢信心ということをいうが 一人で持ち上がらぬ石でも 大勢掛け声で 一度に力をそろえれば 持ち上がる ばらばらでは持ち上がらぬぞ 家内を中勢をそろえた信心をせよ、とあります、
ね、そこでその抱き茗荷という意味が分かりました。ね、信心の喜びの妙というのが、ね、親子も夫婦も兄弟もね、よろこびの妙を目指して、しかもばらばらではない、そこを目指しての、しかも家族勢をそろえた信心、ね、特に私はこのみ教えを頂きましてね、えーここんところを、ご神訓にはどう下さるであろうかと思うて、ご神訓のところを開かせて頂きましたら、ご神戒の四番目 ね、真の道におりながら 真の道を踏まぬこと とありますね。真の道におりながら真の道を踏まぬこと とあります。
御神誡です、御神戒の四番目 真の道におりながら 真の道をふまぬことと、そして私は二十四節を頂いて、今日初めて気付かせていただいたというとおかしいですけども、初めてここにあの真の信心をせよとありますね、私はその身から打ち込んでの信心をせよ、とばかり思とおった、ところがその身から打ち込んでの真の信心をせよ、とありますもんね、ご理解に、はー、だから一家中が信心しよるというだけじゃいかん、一家中がやはりそこんところへ、いわゆる抱き茗荷の信心を目指して、いわゆる真の道、真の信心を目指さなければならない。
今日はだから、この二十四節のご理解のね、皆さんの場合なんかはしょうことなしの信心ではなして、ま、いわば、その身から打ち込んでの信心ができておるのでございますから、ね、その身から打ち込んでの信心でもですね、真の信心をせよと、ここにはこのわざわざ注を入れるようにしてございます、いままではね、私ここんところを、どうぞその身から打ち込んだ信心をしてくれ、とこういうふうに言いもし、思うとったんですよ。ところが今日ここんところ、特に感じます。
ね、同時に一度に、勢をそろえて信心をさせてもらえば、持ち上がらぬ石でも持ち上がる、というところね、だから家内中勢をそろえて、さぁ、七月という信心はさあ、これでいくぞと、掛け声をそろえての信心にならなければいけない。
親も子も、兄弟もね、今月の信心の焦点はここぞと、さあそこでんなら、、真の道におりながら真の道を踏まぬことというのは、大変広い範囲のことでございますけれどもです、どうしてもその真の道を分からせて頂くために、私共は真の人にならなければならんためにです、ね、まずなんというても私、改まりだと思うんですよ。
そこでね、勢をそろえて信心せよということは、勢をそろえて拝めと、勢をそろえてお参りをせよと、拝めという、ここでは意味にとらずにです、一つ、勢をそろえて改まりに勢をそろえるということだ、今月の焦点はここだと。
そこでなら、どう改まるか、ということはです、ね、銘々に話し合うことは入りません、自分自身の心の中にね、今年の信心、よし今月の信心ここに焦点を置かれるから、お互いが本気で勢をそろえて改まろうじゃないかと、ね、そ、勢をそろえて改まらなければね、真の信心にならないのですよ。
真の道におりながら、真の道を踏まれないことになるのです。ね、ですからそこは真の道とか真の信心とかというたら、限りがないことですけど、まずさし当たって、なら、真の道を踏まして頂こうということ、私は思うですね、真の道というのはどういう道かというと、今日私が思うのはね、結局金光様の御信心をさせて頂く者はですね、真という、たとえば字の意義というようなことを解明したら、大変いろいろなことが言えれるだろうと思うんですけど、金光様の御信心をする者の真はね、真の道はね、金光様が歩かれた道、金光様が教えられた道が真の道と思い込むべきですよ。
ね、それはもう、様々にありますよね、けど金光様の御信心をさせて頂く者は金光様が教えて下さったことを守らせて頂くのが私は真の道を踏んでいくことだとこう思うんです。ね、それにはね、日々の改まりが第一と仰る、その第一、これは誰でも言わん、心がけていないことはありませんけれども、一家中が勢をそろえて改まれ、一家中が勢をそろえて、声をそろえてね、いよいよ夏期修行の半ばに入っていくのでございますから、ここんところに焦点を置いての修行をさせて頂く、そこには期せずしてですね、家族中が拝みあえる、
いわゆる抱き茗荷のおかげが家政の中に盛り上がってくる、これはもう間違いなかろうと思うんです。
あら、この頃変わったごたある、と思いよったらやっぱり今月の焦点に力を置とるじゃろう、これは自分もぐずぐずはしておられん、と主人が思うでしょう。子供がこの頃、えらい変わったと思いよったら、やっぱ今月の信心、そこに焦点を置いておるだろういうそこにですね、家族それこそ一緒に喜べれる雰囲気というものが盛り上がってくる。
今月の信心はだから、ね、私が一人夏期信行に参加すればよいといったようなもんじゃない。もう家族中が参加しよう。しかも、んなら、表行の焦点をお参りとするならですね、心行の焦点を改まりに置く。
しかも家族が勢を揃えて、それぞれの改まりということにです、焦点を置かして頂く、ね、真の道におりながら真の道を踏まぬこと、とではなくて、真の道におる者が、真の道を踏もうといよいよ決心した、そして今月の焦点、家族が勢を揃えて改まる、まず私が一人改まれいえというだけではなくてね、だから家族の銘々がそう思やいい訳です。
ね、お母さん、お前はあそこば改まれ、子供にお前あそこんところいっちょ改まらにゃいかんぞ、というのっじゃない。銘々がです、なぜかというと人に言われた信心では取れやすいと仰るのですから。
今日のご理解から、お母さんお前があすこいっちょ、改まったらほんによかもんね、そうですもんね、と言う、そうですもんねというくらいなこっちゃでけん、自分自身がしんから、ほんと自分がこれをいっちょあらたまらにゃならんん、と日頃から思うておる所へですね、その身から打ち込んだということになるのじゃないでしょうか。
ですからこれはもう人の意見をまたない、自分自身がその身から打ち込んでの改まり、ね、そこに焦点を置かして頂こう。
ね、改まりのことはそれぞれに違っても、勢をそろえて改まるということにおいてだけは、勢がそろうわけです、ここで、ね。いわゆる神様が一番喜んで下さるであろう、いよいよ真の道を行じようということになるのですから、なるほどおかげが頂かれるだろうと思います。
ね、ですから今月の改まりはね、お互いが話し合って改まりあおう、と言うのではなくってから、人に誘われての改まりではね、これは取れやすい、だからその身から打ち込んでの改まり。
私もそのことを今日心に決めさせて頂いたことがある、今月はもうここに、そして家族中のものがね、今月はここに、というように家族中のものがその気になる、それが勢をそろえてね、掛け声をそろえての信心になるわけであります。
ね、願いの焦点、どうぞ今月はここを改まらしてくださいというところが願いの焦点、そこには期せずして、いわゆるよろこびの抱き合い、ね、いわゆる合掌し合い、拝みあい。 今月はどうでも付け焼刃ではない、その身から打ち込んだもの、今日初めて気が付かせていただいたように、これは私ですけれど、どうぞその身から打ち込んでの信心をしてくれではなくてですね、ここは、どうぞその身から打ち込んでの真の信心をせよ、とこうあります。
こりゃ私自身が気付かせて頂いた。ね、ですからその真の信心をさせてもらうということは、なら、改まる、これはもう間違いなく、しかも教祖様が教えて下さった方向、方角に基づいての改まり、今まで持ち上がらなかった、今までどうにも出来なかったおかげがです、そこからおかげの芽を出してくることでしょう。ね。
主人に信心が無いなら、ね、主人にこれは今月の焦点を話さなきゃいけません。家内に信心が無いなら、家内に子供に信心が無いなら、子供にお導きをさせてもらわなければならないでしょう、ね。
家内中、勢を揃えた信心をせよ、と言うこれはただ漠然と家内中勢を、うちはもう家族中が信心をしております、という漠然としたものではなくて、今月は、ね、改まるというところに焦点を置いて、しかもその改まるということが、ね、人にいわれて付け焼刃の改まりではなくて、その身から打ち込んだ、自分自身がこうと思いを思っておること、分かっておる事、ここを改まろうと、そこに焦点を置くというところに、今月の焦点を絞らせてもらって、信心修行にいよいよ力を入れていきたいと思います。どうぞよろしきおかげを頂きますように。 大坪かよこ